「情報化の代償が生み出す自殺 - 『日本の自殺』を読む」 | 京都プランナー日記

「情報化の代償が生み出す自殺 - 『日本の自殺』を読む」

1975年に文藝春秋にて発表された論文、「日本の自殺」。

この論文はいわゆる年間30,000人を超える自殺者を示すのではなく、日本文明そのものの内部崩壊をテーマとして描かれている。

文藝春秋2012年3月号に再掲されたこの論文、芥川賞作品も気になりつつ本誌を購読して読んでみたが、この時代にこのような「予言」がすでに存在したことがまず驚きであった。

■文明の定義と没落の過程
この論文はまずトインビーの分類による文明の定義から始まっており、「文明はどのようなプロセスで没落していくのか」を導入のテーマとして取り上げている。

そして、この論文を執筆した「グループ1984年」は、過去の文明であるギリシャ・ローマ文明と日本文明の没落過程が酷似していることに大きく注目するのである。


■文明の没落は内部からの社会的崩壊によって起こる
文明の没落に関するひとつの結論は、あらゆる文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅するということだ。
トインビーによれば、それは「魂の分裂」と「社会の崩壊」による「自己決定能力の喪失」という表現になる。

ローマ滅亡の理由としては、大きく5つに分類される。

(1)豊かさゆえに欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽に明け暮れるようになったこと
(2)繁栄を求めた人口の流入により、小さくまとまった市民団のコミュニティが崩壊したこと
(3)一部の経済的無産者による市民権(パンとサーカス)の主張による精神的・道徳的退廃
(4)(3)の状況が拡大するが故の、インフレからスタグフレーションの発生
(5)エゴの氾濫と悪平等主義の流行

これらの要因により、自制なき「福祉国家」となり、怠慢な「レジャー国家」となり、没落への道を進んだローマ。
このことから学ぶことができる現実は、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償である、ということである。


■日本人の内部に存在する危機
翻ってこの論文は日本に視点を移し、経済的視点での危機に対して警鐘を鳴らしながらも、「本当の危機は日本人内部にある」と述べる。
それはまさにトインビーが表現したところの「自己決定能力の欠如が起こりつつある」という危機である。


■豊かさの代償
日本人が豊かさの代償として支払うべきものを、本稿は下記の3つに分類している。

(1)資源の枯渇と環境破壊
(2)使い捨て的な大量生産、大量消費の生活様式が精神に与える影響への無関心
(3)便利さの代償として支払われる「生活環境のブロイラー化」

この3つの代償のうち、特に(3)における部分は日本人の精神性に深いインパクトを与え、内的荒廃を生み出している主要因であると本稿は指摘している。


■豊かさの代償>便利さの代償
(3)が現代における「精神の幼稚化=判断力と批判意欲の衰弱」をもたらしており、その特徴には以下のようなものが挙げられる。

●適切なことと適切ではないことを見分ける感情の欠落
●他人及び他人の意見を尊重する配慮の欠如
●自分自身のことに対する過大な関心

この論文の展開が非常に面白いところは、ここで思考を停止するのではなく、どんどん視点を深めていくことで問題点を抽出していく点である。豊かさの代償->便利さの代償->情報化の代償、そして最後に到達するのがタイトルにもなっている「自殺のイデオロギー」という視点になる。


■豊かさの代償>便利さの代償>情報化の代償
本稿は、これらの思考力と判断力の衰弱は、突き詰めていくと情報化の代償、つまりメディアの発達と教育の普及によって生まれることを指摘している。

「情報の洪水化」はなぜ人間の思考力や感受性を奪うのか、そのメカニズムは5つに分類される。

(1)直接経験の比重が低下し、相対的に間接経験の比重が増加することによる「経験世界の他者への依存」
(2)情報過多で脳の処理量を超えることに伴う「不適応」

(3)情報の同時性、一時性、そのことによる刹那主義的な生き方の氾濫

(4)情報受信と発信との極端なアンバランスによる「情報の右から左への垂れ流し」

(5)メディアによる異常情報、粗悪情報の過度な拡散

これらの情報化による様々な代償はまさに「日本文明の自殺イデオロギー」を意味し、ソーシャルメディアが発達した現代こそ、まさに「自殺が着々と進行している状態である」ことは想像に難くない。


■自殺のイデオロギー
自殺のイデオロギーが何故生まれつつあるのか。最後に行き着く問題として、大きく2つの枠組みを提供している。

(1)「戦後民主主義教育」に潜む悪平等主義

(2)(1)を含めた「戦後民主主義」という名の「擬似民主主義」

(2)の中には、情報化の代償で触れた「非経験科学的性格」をはじめとして、下記の性質が含まれている。

●画一的・一元的・全体主義的傾向
●権利の一面的主張
●批判と反対のみで、建設的な提案能力に著しく欠ける
●エリート否定、大衆迎合的な性格
●コスト的観点の欠如

これらは全て現代日本における大きな問題であることは疑いようはない。
「自殺のイデオロギー」は、擬似民主主義が生み出したこれらの枠組みを深く考え、打破していくことでしか解決することはなく、解決しなければ文明の落日を招く、という点が本稿のテーマであろう。


■日本人が没落をいかにまぬがれるか
最後に、没落の歴史からいかに学ぶか、という点で、自殺を回避するための5つの視点を提供している。

(1)国民全体が利己的な視点ではなく、自己抑制と調和の精神を持つこと

(2)国民自身が自らのことは自ら解決する、という自立の精神と気概を持つ

(3)リーダーは指導者たる誇りを持ち、大衆に迎合してはならない

(4)年上の世代は年下の世代にいたずらにこびへつらってはならない

(5)人間の幸福や不幸が賃金や物量の豊かさではない、という基本的な理解の周知


「経済的には立ち直ったが精神的には未だに再建されてはいない。日本人の魂は病んでいる」と締めくくった本稿から37年。
状況はさらに悪化し、ソーシャルメディアでの悪平等は広がり、権利の一面的主張、無駄な批判ばかりが横行し日本は混迷を極めている。

子供の世代に対して、「良い物量」ではなく「良い精神」を残していくために、そして「文明を残していく」ために何ができるのか、深く考えていくことが私たちの世代に課せられた大きな責任であろう。


なお、私自身「日本の自殺」についてできる限り自己理解も含めてまとめたつもりではあるが、本文を読むことで最も深い理解が得られることは間違いがないため、興味のある方は是非原文を参照していただきたいと思う。本記事では触れていないが、非常に含蓄のある内容ばかりであり、定期的に再読していきたい内容である。