書評:「日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦」
いわゆる戦争とはその国単体で発生するものではなく、他国との関係性や相互性によって発生するものであり、文化と文化の衝突でもあります。
国民性や組織文化が明確に現れる最も大きな局面であり、だからこそ私たちは戦争を通じた歴史を学び、教訓にしていくことが必要になります。
ただし、戦争というものは全体主義的なものでもあり、そこには必ず個人の犠牲が伴います。
特に大東亜戦争を取り扱う際には、国内外の戦争被害者の多さやその特異性から、この被害者の声にスポットを当てるものが非常に多く存在しますし、これからも多く出現してくるでしょう。
このこと自体、二度とあってはならないことであり、被害者の声に耳を傾け、我々が今享受している平和な日本の礎を築いていただいたことに対して感謝の念と哀悼の気持ちを抱いて過ぎることはありません。
反面、「どのように日本が戦争を放棄しようとも、戦争は日本を放棄していない」という現実にも目を向けねばなりません。
他国との国益で軋轢があれば、外交手段としての戦争はどうしても避けられないときが存在する可能性があります。
その時に、大東亜戦争でなぜ結果として敗戦し、今現在に至っているのかを現在に生きる私たちがしっかりと検証していなければ、同じことが訪れるでしょう。
また、国際化が進む企業情勢において、私たち日本組織がどのような特徴を持ち、その特徴がどのように成長を阻む要因となるのかを合わせてしっかりと検証していく必要があるでしょう。
要するに、戦争であっても企業競争であっても他者や他国との相互性であり、その時にどのような組織構造や意識決定構造を私たちが「特性として持ちうるのか」その理解が必要だということです。
前置きが長くなりましたが、この書籍は「軍令部」、いわゆる日本海軍の意思決定を行う中枢部に存在したエリートの方々が、戦後「反省会」として約13年、400時間に渡り行われた振り返りを起こしたドキュメンタリーです。
「関係者が全て鬼籍に入るまでは公開することはできない」とされていたものをNHK関係者の努力により公開されたものとなります。
実際の映像をまだ私は見ていませんが、書籍だけでも十分なボリュームがあり、内容把握はできるでしょう。
書籍では、主にNHK取材班の各担当者の方々がどのような経緯で各3回のテーマを見出したのか、またその際の心境などが個人の視点から綴られています。
○開戦はどのような意思決定で行われたのか
○特攻はなぜ、行われたのか
○東京裁判で軍令部はどのような動きをしたのか
これらの意思決定で働いている「見えない力」とも呼ぶべきものは、闇に包まれた「命令した側の歴史」側からの証言であるだけに、大きな説得力をもって我々に迫ってきます。
・「やましき沈黙」と誰かが名づけた、誤っていることと感じることに対しても判断を停止し、任務を遂行していく行動。
・上位下達が徹底されながら「責任」が回避され、最終的には誰がどのような判断を下したのかがわからない組織構造。
その他、私たちが彼らの語るメッセージから考えさせられることはあまりに多く、またその思想の根深さに驚きを禁じ得ません。
反面、考えなければならないことは、当時今現代の日本社会においても根深く存在している事象であるということです。
最終章で、この書籍では現代の震災時に発生した原発事故等を例にとり、その根源が大東亜戦争時の組織体制にあるのではないか、と述べていますが、それは軽率にすぎる考察でしょう。
歴史は全て連続しており、大東亜戦争が日本史の始まりではないからです。特攻の名前がなぜ神風特攻隊なのか。神風信仰は一体どこから生まれたのか。そこまで考察してはじめて、日本人の「日本的なるもの」に対してもう1歩迫ることができるのではないでしょうか。
私たちには感謝こそすれ、当時を裁く権利はありません。また「反省する」ということも、世界全体が列強主義であった時代を考慮することなく、安直に現代の視点から判断しているだけの空疎なものになってしまうだろうと感じます。
私たちはこの書籍にある内容を咀嚼し、さらに国際化が進む中でまず自らを知り未来の世代に活かしていく、ということが必要であり、求められるのはそのための責任ある行動であることでしょう。
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない (フィリップ・マーロウ)