京都プランナー日記 -7ページ目

日報:「企画構成三昧」。

【1】ECサイトシステム構成図作成:5P(7:00~8:00)

【2】ECサイトキャンペーンページ構成図作成:4P(8:00~9:00)

【3】ECサイト コンテンツABテスト企画提案・構成図作成:6P(10:00~14:00)

【4】ECサイト業務伝達諸々(納品データ等)

【5】別事業商談(16:00~18:30)

【6】ECサイト週次報告資料(効果測定・分析)資料作成:2P(18:30~20:00)

【7】ECサイト新規企画提案・構成図作成(20:00~現在に至る)


本日は資料三昧。特に構成図。

【7】の段階になるとさすがにアイデアが枯渇する。
本来であれば1時間で仕上げたいのだが。

「こだま」。



この世界の本質の一部をレトリックとして的確に表現することが詩の素晴らしさだとすれば、この詩は人間関係の本質を鋭すぎる程に表現している点で、もう100年時代を経ても、決して色あせることはないだろう。

残念なのは、受け入れ解釈する側の人間が、年齢を経過する毎にこのような純粋な視点を喪ってしまうことだ。考える要素が多いと勘違いし、自らに言い訳することで人間関係はあくまで1体1の「こだま」であることを忘れてしまう。本当に考えるべきことなど、誰であっても実は1つか2つしかないのに。

私も間違いなくそのひとりだ。それではどうすべきかはこれから考えなくてはならない。

「手塚治虫の『ブッダ』映画化」。

父親の影響が大きく、幼い頃から漫画が好きだった。

父曰く、「夢のない漫画はダメだ」ということで、いわゆるサブカルの象徴的な漫画はなかったため自分で購入していたが(「おぼっちゃまくん」はその典型である)、それでも千葉あきお氏の「キャプテン」「プレイボール」や、いわゆるゴルフ漫画の先駆けとなる「プロゴルファー猿」「明日天気になあれ」「美味しんぼ」などが自宅で好きなだけ読むことができたのは有り難い話だった。

なかでも手塚治虫氏の作品は特に多く、「火の鳥」や「ブラックジャック」は何度も繰り返し読んだ記憶がある。「火の鳥」の中で彼の描く未来は未だ現実になっていないが、そのイマジネーションは今読んでも決して色あせることはない。また、ブラックジャックで問いかける生命の尊厳のテーマは、現代その形を変えて連綿と続いていくであろう。

そんな中で、私高校生当時、唯一親しみ切れなかった漫画が「ブッダ」だった。2000年前のインドという設定や、いわゆるカースト制度による身分差別という環境条件、深すぎるテーマに私の人生経験がついていかなかったのだと思うが、当時の感想は、「人が生きて死ぬだけの漫画じゃないか」ということだった。

「ブッダ」が心底面白いと感じたのは、大学3回生の春休みだった。
当時1か月ほどインドの一人旅をしており、その過程でブッダが悟りを開いたと言われるブッダガヤで縁あり2週間ほど滞在することになった。

過去に来た日本人旅行者がおいて行ったのだろう、何故かブッダガヤ図書館に「ブッダ」があり、そこで改めて読んだ私は、この本で描かれているストーリーに大変感動を覚えたのだ。

この漫画の中で描かれているのは昔も今も変わらない人間模様であり、善も悪も入り混じったものである。問題は解決されない。苦難は続いていく。それでも全てを受け入れ生きて行くこと、そして死んでいくこと。そのことこそが、苦難を和らげ、より濃密な人生を歩んでいくことの、ひとつの意味を逆説的に持つ、ということが伝わってきたのだ。

インドから帰ったときに、私は就職活動を放棄することを決めた。それはより濃密な人生を歩むことをしたかったからで、仕事を選ぶ時期やスタイルは自分で決めたいと考えたからだ。「就職説明会などは要らない。必要であれば自分で情報をとろう。自分の人生なのだから」ということだ。
そこには様々な影響があるが、ブッダガヤで体験した感動もその一因であることは間違いない。

そんな「ブッダ」が遂に映画化される。
テーマは深く、環境条件は親しみにくい。そんな状況でどのように一般にメッセージを伝えることができるか、とても興味深い。


$京都プランナー日記-手塚治虫のブッダ


私としては終わった時にはぜひ感動していたい映画である。…が時間がなく行けないかもしれないので、ぜひ誰かに感想を聞かせてほしいと思っている。

-->映画「手塚治虫のブッダ」

「批判精神」。

12日に毎月行っている集会があり、ローム株式会社顧問の下江安成氏の話を聞く機会があった。

東洋電具製作所からロームとして新たに創業し、現在のような高収益のグローバル企業になるまでのプロセスと、「旬を捉えて技術を売る『魚屋経営』」をはじめとした成長に必要な考え方など、示唆に富んだ内容だったのだが、最も響いたのは、「どのような組織であっても仲良しクラブ、批判がない場所では成長がない」という言葉だった。

交流会においても組織においても取引先との関係においても、イエスが絶対となれば、成長は止まる。

闇雲な批判は無駄でしかないが、双方の方向性を確認し、是正をしていくための批判であれば、議論をし尽す必要があるだろう。仲良しクラブで成長があればいいし、大前提となる仲良しが永遠に続くのであれば構わない。しかし、現代ではそのどちらの保証もないのだ。
逆に永遠に続くと考えているようなケース程、その関係は破たんしやすい。なぜなら、その関係は無意識的に相互依存の度合いを高めていく可能性を強く持っているからだ(この点、恋愛に似ている。「これを期待していたのに、なんでやってくれないの?」という例のアレだ。本当に望むことは言葉に出さなければならない。人間は分かり合わない生物なのだから。)

要するに仲良しクラブという特性は排他性を強く持つ可能性があるので、常に相応の批判に対して粘り強く議論する必要を意識することだ。これは意識しなければ決して実現することはできない。

ただし、1点重要なポイントがある。

批判を行う場合は、批判を行う先との間で十分な人間としての信頼性がなければならない。逆説的だが信頼関係がなければ批判はできない。信頼関係を構築する「覚悟」がなければ批判はできない。もし関係なく批判を行ったとすれば、最悪の場合、その行為は関係の破たんにつながる。破たんにつながるということはその程度の信頼関係しかなかったということで、それはそれであきらめがつくのだが、そうもいってられないケースもあると思われるので、これは多少は意識しておきたい。

昨今のソーシャルメディアはポジティブな面ばかりをピックアップしており、私個人としても当然ポジティブであるにこしたことはないと考えている。

ただし、人間は根源的に悩む存在であり、ポジティブだけでは生きて行けない。ネガティブな面を直視し、相互に批判にかかわる議論を行うことができなければメディアの未来はない。



ネットのみでそのような深い関係作りをするにはまだもう数年の時間を要するのではないだろうか。




私個人としては、今のような文章や写真の掛け合いで、いわゆる「一般の人」が議論を尽くすことはできないと感じている。

最終的には動画における通信が、ネットにおけるコミュニケーションを成熟させるのではないだろうか。

「世代交代(ヴィクトリアマイル)」。

本日のヴィクトリアマイルは圧倒的1番人気のブエナビスタが2着に敗れ、2番人気・昨年の三冠牝馬アパパネが堂々たる勝利を収める結果となった。

着差はクビでしかなく、上がり3ハロンのスコアも前半のハイペースとレースレコードというタイムを考えると、ブエナビスタ本来のものであると言えるだろう。

この1戦が示唆するものは1つしかなく、「競馬における厳然たる世代交代が発生しつつある」という現実である。

世代交代は競馬に限らずプロスポーツにおいて必ず存在するのだが、こと現代競馬において特にトップレベルの争いになった時に、2年以上最高のパフォーマンスを発揮し続けることは至難を極める。

ブエナビスタの2010年のパフォーマンスは確かに素晴らしかった。ただし、2011年に同じパフォーマンスができるかといえば難しい、ということを昨年末に書いた。ドバイワールドカップを含めた2戦、結果から考えて今年のパフォーマンスは芳しいとは言えない。ドバイはオールウェザーという環境が合わなかった。今回のヴィクトリア・マイルは距離が短かった。それらは全て結果から言えることでしかない。

昨年は制したが、今年は2着だった。これが現実であり、世代が交代しつつあるということなのである。

とはいえ、ここから盛り返した馬だっていないわけではない。新しくはウォッカがそうであるし、ヒシアマゾンやエアグルーヴは長期休養や挫折を挟みながらもトップクラスの力量を維持し続けた。

長期にわたって最高レベルのパフォーマンスを維持し続けるのが本当の名牝であると言えるならば、ブエナビスタの本当の勝負は今日から始まったと言えるのではないだろうか。ここからはどちらかと言えば調教師側のタスクになるのかもしれないが、どのように挽回するか注目したい。

勝利したアパパネに関していえば、今日は本当に強い競馬をした。マークされる競馬を敢えて選び、抜かせない。蛯名ジョッキーの仕掛けのタイミングもベストだっただろう。実際の仕掛けを見ると、ブエナビスタよりも遅いタイミングなので、あと直線が100メートルあったとしたら、逆に差は開いていたのではないかとすら思わせる。

この馬の勝負強さ、牝馬限定戦における安定感は何か特別なものを感じる。ステップレースでは敗北する。常勝のチャンピオンではない。しかし勝負のレースでは落とさない。それが同着だろうがクビ差だろうが、必ず結果を持ってくる。国枝調教師のコンセプトもあるのだろう。「運も実力のうち」という言葉を肯定的に送りたい馬である。


女性が強いこの時代、牝馬初のGI8勝を成し遂げるのは、もしかしたらこの馬かもしれない。


ここからは余談だが、この国でこれから主流になる強い女性像も、男を問答無用に切り捨てるブエナビスタ型ではなくなるのかもしれない。

「『強さ』にも色々な形がある」。

これは本日のもう一つの示唆である。

IP Messengerの設定【Windows 7 ⇔ VISTA】

今年の連休は身内の不幸などもあり、子供が2か月とまだ小さいこともあり、5月3日~5日は京都で過ごすことになった。

折角なのであまりメンテナンスできていない自宅PC環境を整えようと、まずはIP Messengerの設定を見直し。このツールとFTPのお蔭で(?)、私は過去1度も個人的にUSBメモリを所有したことがない。


昨年に購入したデスクトップ:Windows 7 Home Premium(32ビット) と 2008年から利用しているノートPC:Windos VISTA businessの連携に少々手間取ったので、メモ的に保管しておこうと思う。

<連携の手順>
IP Messenger はLAN内で繋がっているユーザー同士のデータやり取りが非常に簡単にできるツール。データ連携で言えば他にも諸々あるが、起動が早いこと、非常に手軽であることから、ビジネス用途としても利用している企業は多い。(当社も利用している)

ただし、ファイアウォールの設定など、OSのバージョンが異なると少々触らないといけないところが出てくる。以下順を追って紹介しておこう。

(1)最新バージョンをインストール(7 / VISTA)
OSがある程度新しい場合は、当然だが最新バージョンの方が良い。
上書きインストールはどうやらできないようなので、古いバージョンがある場合はアンインストールしておいた方が安全。

-->下記からダウンロード可能
IP Messenger 開発研究室


(2)IP Messenger > 「設定」を変更(7 / VISTA)
「Local Network以外のBroadCast設定」に192.168.0.255を追加


(3)ウィルスバスターが入っている場合、「例外」にIP Messengerを追加(7 / VISTA)
・2010の場合は「メイン画面」>「パーソナルファイアウォール」>「詳細設定」>「例外ルール(プログラム)」タブからIP Messengerを追加。
※その際は「送信」「受信」を分けて追加する方が安全。

・2011の場合は「メイン画面」>「設定」>「例外設定」からIP Messengerを追加。


(4)Windows ファイアウォールの設定を修正(7 / VISTA)
・VISTAの場合は「コントロールパネル」>「windowsファイアウォール」>「設定の変更」>「例外」タブ>プログラムまたはポートの中にIPMsgがあるので、チェックを付けてOK

・7の場合は「コントロールパネル」>「システムとセキュリティ」>「windowsファイアウォール」>「windowsファイアウォールを介したプログラムまたは機能を許可する」>プログラムまたは機能の中にIPMsgがあるので、チェックを付けてOK


よくあるケースとして「認識はするが添付ファイルの送受信ができない」ということがあるが、上記の設定を見直せば多くの場合、解決するのではないかと思われる。

「当選」。

友人でもあり、協力会社の代表でもある藤井哲也氏 が大津市議会選にて新人として立候補し、無事当選することとなった。38議席のうち、得票数は3番目の4500票近く。当確ラインが2000票といわれる中、文句無しの堂々当選といえるだろう。大津市議会議員最年少の32歳。まずは心からおめでとうと言いたい。

彼は大津生まれとはいえ、大学も京都。8年前に京都で創業以来、滋賀とはそれ程地縁はなかったはずだ。地元の繋がりが重視される市議会でその支持を広げることが出来たのは、ひとえに彼自身の努力に他ならない。

2011年から毎朝、出勤に向かう人々より早く駅に立ち、その思いを訴えてきた。雨の日も雪の日も励行してきたその努力は、人を動かすに十分すぎる価値がある。

仕事で彼に携わる人ならばご存知のように、彼は一見「政治家には向かない人柄」である。清廉潔白すぎるし、まっすぐすぎる。経営者ならばもっと良い意味で貪っても良い面もある。

しかし、今そしてこれからの政治家にとって必要な資質に、実直さや清貧さは必ず必要な要素であろう。今までの慣例を踏襲した政治家は舞台から去るべきであり、政治は私たちと同年齢の30歳から行うべきだ。現場の目線で考えられない人間が、どうして未来のために動けるのだろう。未来の種は国会や東京にはなく、地方の現場にしかないのだ。

彼は経営者として歩いてきた。そして愚直すぎる程に実直。だからこそ、私は彼の「日本を明るくする」という理念に共感し、微々たるものながらWEBのサポートをさせていただいた。諸事情ありあまり手伝うことはできなかったが、結果オーライということで許していただこうと思う。

当選をした後、経営者と議員の二足のわらじとなる彼は、色々と難しい決断を迫られると思う。産業と政治の利害は一致しないからだ。政治の世界も厳しいが、産業の世界は政治の世界以上に短期的な結果が求められる。そして指標が明確である。
産業の分野では、もしかしたら喪うものの方が多いかもしれない。

それでも、彼の目的は以前から微塵も変わっていない。どんなに多くのものを喪ったとしても、その理念だけは持ち続けて欲しいと思う。そうである限り、微力であり無責任な存在ではあるが、応援していこう。

「一か月」。

関東大震災から一か月が経過した。この間の変化は日本にとっても大きなターニングポイントになるのかもしれないが、私達のように現在に生きる身からは、残念ながらわからないことが多いかもしれない。地球が自転の方向を真逆にしようと、その上に生きる私達は、そのこと自体にしばらくは気が付かないのではないだろうか。

この間の変化を箇条書きにしてみる。



・日本は世界で最も安全な国から、最も危険な国になった。

・そして、(何故か)世界から批判をされている。(主に批判されているのは政府と東電だが、なぜか日本のメディアがこぞって相乗りしている)

・フランスの原子力大手アレバが勇躍登場したが、一瞬で消えた(何をしているのだろうか。やっているのであれば特にいいのだが)

・復興支援を金科玉条に据えた残念なマーケティングが横行している

・特需の恩恵に預かろうと努力するベンチャー企業が増えた(経済活動として当然だが)


・「支持率が低くてもやる」とやるき満々の菅直人をどうにか引きずり下そうという動きが活発化
(やる気があるならそれを活かすようにして実績を上げればよいと思うのだが。誰がなってもできないのであればやる気がある方が良いのではないだろうか)




世界はめまぐるしく変化しているが、人間の本質はそう変わりがない。

私は私の立場で、引き続き経済活動と周囲の未来のために努力するだけだ。



「風邪にやられない年度」

この4月からは一般的には新しい年度となる。

当社の決算は2月であるため少々ずれるのだが、昨年から今年にかけて少々誇ってもいいと思える事実がある。



昨年の夏から今年の春まで、最終的には風邪などの体調不良に侵されることなく、無事に過ごすことができた。



特に昨秋からは毎週のように遠方出張をし、これまでの人生の中で最も移動距離を稼いだシーズンだった。その中で特に体調を壊すことなく、安全に過ごすことが出来たのは、自分にとっては多少記念碑的な出来事である。


主原因はおそらく食生活と家族のおかげであろう。こういった事実をまともに振り返ると、なかなか言葉では言い表せない恩恵をもらっているな、と感謝をすることになる。


戦後競馬史に燦然と輝く偉業 -「ドバイワールドカップ日本調教馬初制覇」

$京都プランナー日記-ドバイワールドカップ

自粛ムードもある中、それ程大きく取り上げられていないが、このニュースは戦後競馬史で最も大きく取り上げられるべき偉業である。

日本調教馬ヴィクトワールピサ、父親は内国産馬の皐月賞、日本ダービー馬ネオユニヴァース。その父親こそアメリカ産のサンデーサイレンスだが、サンデーサイレンスは日本においてサンデー系とでも表現すべき独自の血脈を築いており、日本産の血統として表現して全く差支えがない。

古くはタケシバオーやテンポイント、シンボリルドルフなど、ここ十数年においてはホクトベガ、エルコンドルパサー、ウォッカなど砂、芝のチャンピオンホースがチャレンジし、阻まれてきた世界制覇の壁。ディープインパクトでさえなし得なかった偉業がこの国難の時期に達成されたことは、決して偶然ではないだろう。

レースに関して言えば、決してヴィクトワールピサにとって良い展開ではなかった。スタートで出負けし、さらに同じ日本調教馬トランセンドが作り出すペースは絶妙なスロー。その中で最後方から進めることのリスクを感じ取り3コーナー手前で先頭集団に一気に進めたジョッキーのデムーロの判断は見事だし、あの競馬で最高のパフォーマンスを発揮できることがヴィクトワールピサの気性の柔軟性=強さであろうと思う。(何度でも言うが、馬の強さも人の強さも最終的には体力・知力の基礎レベルではなく、それを発揮させるエンジンである「気性」に帰結するというのが私の持論である。)
このレースにおいて、世界の強豪がひしめく中でヴィクトワールピサは間違いなく一番不利な展開の中、一番強いレースをした。完勝と言っていいだろう。

実際に同じ最後方集団に位置していたブエナビスタはそのような競馬をすることができず、結局馬群に沈んだ。ヴィクトワールピサのように気性の制御が利かないため、最初の位置取りを自在に変えることができない弱みが出てしまったといえる。また、5歳牝馬という時期の難しさもあるだろうと思う。去年のようなパフォーマンスを今年ブエナビスタが発揮できるかどうか、まだわからない。

ここ最近で最も感動するレースを見せてくれたヴィクトワールピサ、関係者の努力にはどのような賞賛をしても飽き足らない。これまで何度となくチャレンジし、阻まれてきた関係者たちだ。感慨もひとしおであることだろう。

努力は続けることで必ず実るとは言い切れない。しかし、努力し続けなければ実らない。不確定性に挑み続ける努力が結実した時、それまでの道程が厳しければ厳しいほど、感動を与えるパフォーマンスとして人々の記憶に残り続けるだろう。そんなレースだった。

微力ながら私も少しの努力を続けていかねばならない。それは何につながるかはわからないのだが、努力をしなければどこにもつながらないのだ。