京都プランナー日記 -5ページ目

「逝去」。

以前取引があった方のご逝去を今日知ることになった。
年賀状をお送りしたところ、ご丁寧に会社の方から連絡を頂いて知ることとなった。

その方とは2008年に取引をさせていただき、当時の当社にとっては規模の大きい受注をいただいた。
約3年の付き合いだったが、コンプライアンスのしっかりした会社だけあり、非常にしっかりとした校正を返していただき、細やかな前後対応をしていただいたことをよく覚えている。

妻の実家近くに本社があり、長女がまさに生まれるその日に打ち合わせがあったために出産に立ち会えたことは、偶然にしては出来すぎたことだ。おそらく正常な記憶機能が続くうち、私はその日のことを決して忘れることはないだろう。その方に対する提案、その時の構成案とデザイン案。会社からのタクシーがなかなか来てくれなかったこと。出産後、義母と二人で王将で食べた日替わりランチ。(義母と二人で外食をすることは、今後もそうあることではないだろう。)
その方はそんな生涯忘れられない一日の、とても大切な一端に存在し続けている。

一度その方と食事をさせていただいたとき、そんなことを話したところ、嬉しそうに笑っていただいたことを覚えている。その方にも確か三人の娘さんがいる、ということだった。

子供の教育に関する教訓をいただいたような気もするが、あまり覚えていない。覚えているのは外国での数年間の生活時代に、現在の日本では少々法に触れてしまうような「いたずら」をしたエピソードだったりする。人間の記憶というのは教訓にならないことばかり残してしまうものだ。

「私は本当は、もっと若い時分にもう死んでいるんだよ」

食事中、ふとしたときにこのようなことを言ったその方のお話は、当然当時の私からすれば信じられない話だった。
今、早すぎる死について考えるとき、やはり何かあったのだろうか、と思いを巡らさないわけにはいかない。


毎朝5時に起床し、通勤電車で会社に向かう毎日だと聞いた。
帰宅は遅いときにはその日を回ったりすることも多かったようだ。
在職中に亡くなったとしたら、その方にとっての人生とは、ほぼ仕事とイコールだったのかもしれない。その方の生前が御多幸であったと信じているが、同時にそうであってほしいと祈る。


人は全て死ぬ。人に限らず生きるものは必ず死ぬ。

ただ、生きることと死ぬことは断絶していないのではないか、と最近思うことがある。

死ぬことは、生きること。生きることは死ぬこと。

どのように生きるのか、ということはとりもなおさずどのように死ぬのか、ということにもつながるような気がする。

御厚情をいただいた故人の冥福を祈り、次に「生きること」に対する己の甘さを反省し、より良く生きることを考えていきたい。









「2012年の目標設定」

2012年が始まった。
2日は母方関連の実家にお邪魔し、昼から深夜まで水のように日本酒を飲む。
すると翌日はあれほど愛好している日本酒を全く飲みたくなくなり、人間の身体は非常によくできているな、と感じた次第である。「バランスが大切」という考え方と「メリハリが大切」という考え方、どちらにも一理はあると思う。

新年なので、できるだけ簡潔に今年の目標をまとめてみる。

<仕事>
(1)自らが存在しなくても回る仕組みの確立
現状、自分が必須という程の重要性は全くないが、仕組み上、自分が仕事を運ばなければ動かないようになっていることは事実。この仕組みをまず変えたい。具体的には、関係者すべてが、自らの責任範囲の一段階上を全うできるような仕組み作りをしたい。これは当然、自分を含めての取り組みになる。
私の立場であれば、これまであまりしてこなかった新しい事業モデルを創出する、ということにチャレンジしたい。仕事が変われば、立場は変わる。立場が変われば、考え方は変わる。考え方がバージョンアップするという点は、専門性を高めるにしても汎用性を突き詰めるにしても、最も成長を実感しやすい部分だと思う。成長を実感できる組織には、他と比べて強い再生力が生まれるのではないだろうか。


(2)新しい事業の比率を現在の事業と同様にする
現在進めている新しい事業モデルを具体化し、今年中に現在の事業と同一の割合にすることを目標にしたい。これは既存のウェブ会社を全く脱却する、ということを意味する。
「ウェブに対するこだわりはない」といえば嘘になるが、ウェブをベースにした、ウェブ会社でしかできない新しいモデルを突き詰めることで、これまでにない市場を創出できるのではないかと考えている。
この目標を実現するためには、やはり昨年以上に関東方面に食指を広げる必要があるが、ニーズがあるのであれば是非チャレンジをしたい。


(3)やめる
新しいことをはじめるのであれば、やめることも当然必要になる。
今年は少なくとも、現在行っている事業やビジネスのうち、5つをやめることを目標にしたい。
やめることで拡がる可能性も大いにあるし、現状維持はイコール仕事における死を意味するからだ。


<プライベート>
(1)家族のために休む
なかなかバランスをとることは難しいが、昨年非常に感じたことは、「平日努力して80時間働こうが、土日をつぶして80時間働こうが、トータルは変わらない」ということだ。
どのように頑張ろうが、努力そのものは評価されるのではなく、あくまでも結果である。
結果を考えた時に、休むことで何かを失うということは、少なくともこれまではなかった。
今年は昨年よりも少し、家族のために休む割合を多くしたい。

(2)フルマラソンで4時間30分
昨年からチャレンジを決意したフルマラソン。1度も走っていないので何ともいえないが、このタイムはなんとなく突破したい。日々の努力をどのようにするか、今から思案中。
最終的には実践あるのみだと思うので、まずは一度42.195kmを走ってみたい。


(3)Amazonのレビューで1,000位以内
かれこれ何年も言っているので風化しつつあるが、今年こそはなんとか達成したい。月10冊のレビューをまずは達成することをミッションとして日々生きていきたい。

「2011年、自らの点数を付ける」

2011年も残すところあと1日。

今年は年明けに少々仕事があり、帰省をせずに京都で年越しを迎えることになる。

私にとっての2011年を一言で表現をすると、「余裕のない1年だった」ということになる。
公私ともに、常に何かに急き立てられているような気がした1年であった。

それは仕事上でプラン通りに進まないことが多かったからなのかもしれないし、ソーシャルメディアの普及でコミュニケーション自体が「常にコンタクトができる状態にしておく」というルールに(少なくとも仕事では)変わってしまったからかもしれない。


来年の行動方針としては、「常に一片の余裕を持つ」ということを最大のテーマとしてやっていきたいと思う。

今年の年始につけた目標の達成度をこの機会に棚卸ししてみようと思う。

<プライベート>

(1)家族と旧友を大切にする→30点
特に下半期は家にいること自体があまりない状態だった。
来年はもっと考えなければならない。

(2)Amazonのレビューでもう少し上を目指してみる(1,000位以内)→0点
レビューを残すこと自体ができず、年間で5件程度のレビューに終わってしまった。
時間さえ作ればなんとかなると思うので、こちらも引き続き来年への課題。

(3)移動時間を生きている時間にする→50点
非常に感覚的だが、こちらについてはある程度できたように思う。
とはいっても及第点レベルだったため、50点。


<仕事>

(1)関東方面事業を拡大する→60点
「最低5倍」はなんとか達成できたが、そもそもの初期値が低いため、結果的には5倍程度では済まないレベルの売上が必要だった。来年こそは笑える「最低5倍」を実現したい。
本音を言えば駐在日数を増やしたいが、今年後半、会社の方針転換や案件状況もあり、逆に駐在日数をとれなかった事情もある。
来年は違った事業での東京方面も増えてくると想定され、特にそちらを断固たる決意で臨んでいきたいと思う。


(2)海外展開を意識したサービス提供をする→20点
小さいところではFacebookページ、ある程度大きなところでは海外版ECという展開自体は進めることができた。ただし進められたというレベルに終わっており、そこからイノベーションを創出することはできなかった。「捨てる」ことも必要だと、現時点では大きく反省をしている。「捨てる」ことで間違いなくスピードは向上するからだ。


(3)毎日をハードワークにしないためのシステム化→30点
これは全くと言っていいほどできなかった。ただし、仕組みを変えていくための試みは諸々トライしており、来年に向けての布石は多少できてきつつあるのではないか、という気がしている。


ということで、全体的に見ると余裕がなく、個別で見ると達成が全く出来なかった2011年だったが少しだけ自らを評価したいことがある。


○様々な失敗はあったが、「NO」の決断を下すことなく、仕事としての多少の成果に結び付けられたこと

○「公共性」を常に意識して仕事ができたこと

○未来の観点から他者に対する少しの「お節介」を常に意識したこと


私などより強く激しい衝撃を受けた方は本当に多いだろうが、東日本大震災は本当に大きな出来事だった。あの出来事を通じて、私自身は自らの甘さや未熟さを骨の髄まで痛感し、生き残ったものの責務として、なぜ生きるのか、なぜ仕事をするのかということを突き詰めて考えさせられた。

そのときに至った考えはとてもシンプルなもので、「仕事は自分のためにあるのではなく、自分の人生も自分のためにはない」ということだった。仕事も人生も、全ては未来のためにあり、未来の中に自分が含まれるのである。

未来のために生きる、という観点を少し具体的にすると、上記の行動指針になる。
今年1年本当に様々な失敗はしたが、なんとかこれらの視点で物事を見ることはできたのではないか、という気はしている。

来年は様々な失敗をすることなく、よりブラッシュアップを施した行動方針を貫いていければと考えている。そのことで変わる景色を、私としては是非見てみたい。







2011有馬記念短評:「勝てない競馬で勝つ」。

「史上最高のメンツ」と言われた第56回有馬記念。

まず、メンバーが史上最高と呼ばれるには様々な理由が必要だ。
今年のGI馬がどの程度出走しているのか、故障で回避した馬が多いか少ないか、そして「花形」が何頭いるか。そういった意味では近年最高のメンバーといって差し支えない素晴らしいメンバーだった。

そんな中で、オルフェーヴルはまさに世代交代をまざまざと見せ付ける圧勝劇。
これまでのレースで、私は彼の強さを若干疑問視をしてはいた。強いことは強いが、三冠馬として世代を背負うことができるかどうかは未知数だと考えていた。

この有馬記念で、オルフェーヴルは最も辛い立場でレースをし、自らも掛かり気味になり、スローペースを後方から進み、なおかつ外から回って稀代の名牝と居並ぶ最強4歳世代をまとめて差し切ってしまった。
いわば「決して勝てないレースで勝ってしまった」のである。
同じ有馬記念、レースぶりや状況は全く違うが、テイエムオペラオーの第45回有馬記念を思い出すようなレースだった。

上がり3F34.0の末脚決着。この展開に最も強いエイシンフラッシュをしてあっさり交わしてしまうのだから、このメンバーでは何度やっても負けない、ということだろう。

ひとつ残念だったのはブエナビスタ。有馬記念を引退レースとする馬は、近年ことごとくこれまでにない着外に終わってしまうケースが多い。「見えない疲れ「世代交代」と形容されるものが、やはりこの名牝にもあったということだろう。

興味深いところでは2年連続で3着に突っ込んだトゥザグローリー。有馬記念というものはこういった不思議なことが往々に起こる。来年も3着を是非3着で駆け抜けて往年の名脇役ナイスネイチャの域を目指して欲しい、と願うのは不謹慎だろうか。




歴代の三冠馬に並ぶ「本当の強さ」を証明したオルフェーヴル。この未来がさらに明るいものになることを、そしてその鞍上には常に池添騎手がいることを祈りたい。それが日本競馬のさらなる発展につながるだろうから。

「蓄膿症」。

12月に入り新事業のスタートアップなどの作業と納品が重なり非常に多忙な日々が続いていた。

21日の新事業オープンセレモニーでは司会などと多少の役割を引き受けていたところ、数年来ぶりに(?)少々ひどい風邪を引いてしまい、約2週間位声すらあまり出ない状態が続いていた。

上手く行ったかどうかは別にして、何とか21日の司会時には声が出る状態になったが、その2日前からどうも頭痛と歯痛がひどくなってきた。21日の夜には歩くだけでも歯が痛む状態になり、右前頭葉もしっかりと痛む。

食生活は問題ないが、人並に過労で遂に脳に来たのだろうか、と心配になり、まずは直接的に痛む箇所である歯医者に行って聞いてみた。

おそらくその歯医者さんが良かったのだろうが、「レントゲンを見たところ蓄膿症ではないか」ということであった。歯には全く異常はないが、どうも鼻の左右に白いものが見受けられるということだ。

念のため当日耳鼻科に行ってみたところ、やはり同様の見解。おそらく、というところではあるが幸いにも原因がほぼ特定でき良かったところだった。
どうやら風邪が長引いた際に急性の蓄膿症になることがあるようだ。

蓄膿症の症状 頭痛と鼻の痛みについて

年末は身体にとっても1年の総決算。イロイロなことが起こる。
とはいえ、昨年の低温火傷に続き、有る意味自己責任での問題であるため、あまり大きいことはいえない。
治療には3ヶ月程度が必要、と長いお付き合いを覚悟せねばならないが、気持ちとしては粛々と過ごして行きたいものだ。

「人を叱る」ということ。

「人を叱る」ということを考えるときに、いつも思い出す出来事がある。

4年以上前の話になるが、当社ではじめての新卒女性スタッフが存在した。日夜私の直属部下として企画書やディレクションを頑張ってくれていたのだが、いかんせんキャリアがないので七転八倒。それでも笑顔を忘れずに努力していたスタッフだった。

あるとき、それは人間ならば誰でもあるであろうレベルなのだが、態度が非常に雑な日があった。指示を出しても的確に動いてくれず、むしろ話を聞いていない。当然その日の企画書のパフォーマンスは低いものだった。

この態度が恒常化するとすれば、このスタッフのキャリアは非常に不味いモノになってしまうだろうと思った私は、その日の夜、全身全霊を込めて叱った。気持ち・態度がダメであるから企画書のパフォーマンスが落ちる。感情に左右されるような仕事は仕事ではない。会社は遊びの場ではなく、共通目的のために相互努力をする場なのだから、存在する以上は態度から改めろ、とそんな話をした記憶がある。

いつもはその後笑顔を見せる彼女に、その日笑顔はなかった。

そして、その日は彼女の誕生日だったと、後で聞いた。

自宅と会社の丁度中間にある大通りで一人涙する彼女を見た、という話を聞いたのも後日の話だ。


スタッフが誕生日の予定を気にしていたのかどうかはわからない。
問題は、その状況を全く理解していなかった私にある。


それ以来、私が人を叱るというときに必ず意識することは、「100%叱るべきだ」というシーン以外ではその行為を行うべきではない、ということだ。

それが誕生日であっても何であっても、仕事以外の何かに起因するものが考えうる場合は、少なくとも精魂を込めて叱ることは避けるべきだ、ということだ。

間違いなく10:0で悪い、そしてそれが恒常化すると非常に不味い。「叱る」ということはそういった時にはじめて行うべきであり、それ以外は注意で良い。それで十分に改善はなされる。


「叱る」という行為は、「100%正しい」という状況以外では決して良い方向には行かない、本当に難しいスキルである、ということを常に肝に銘じているつもりだ。



それでも、誤ちを繰り返す。「思い出す」ことと「行動に落とし込む」ということの間に存在する高すぎる壁に、今脱力感と猛省の念を強くしている。

「京都マラソン」

何気なく応募したつもりの「京都マラソン」。気がつけばかなりの抽選倍率だったようだが、縁があったのか当選。

現状の仕事・家庭状況を考えると正気の沙汰ではない、という声をよくもらうが、まずは与えられたチャンスなのでできる限りは努力してみようと思う。

幸いにも、長距離走はそれ程嫌いではない。一応、大学2年までは体育会でそこそこのランニングや運動は日課としてきている。問題はブランクがあり過ぎることと、そもそも可処分時間が圧倒的に少ないことだろう。

まずは毎朝4~5km走ることを日課とし、さらにそのペースを1km5分台をキープする。休日まとめて走ることができる日は10km走る。
このことで4時間台での完走を目指したい。

ちなみに、妻の実家へ遊びに行く際、約80kmの道のりを走っていくことも検討してみたが、それはさすがに正気の沙汰ではなく、途中でグロッキーになる可能性が高い。1か月程様子を見てからチャレンジしてみようと思う。

「娘とナショナル ジオグラフィック」


京都プランナー日記-ナショナル ジオグラフィック


毎号必ず見るわけではない、というよりほとんど買うことはないのだが、「アイスマン再び現る」のキャッチが気に入ったことと、創刊200号のポスターが何となく欲しくなったことが重なり、「ナショナル ジオグラフィック」を購入。

休日は大抵娘といるため、折角だからと絵本感覚で見ていたら、思った以上に娘(2歳)の反応がよく、驚いた。
考えてみればこの雑誌、子どもが喜ぶネタが詰まっている。

(1)写真が多い。そしてキレイ。

(2)動物が多い。しかも野生のため、動物園と違ってたくさん登場する。
 ※今号では20頭以上のゾウが一同に会する写真があり、娘が大喜びだった。

(3)おともだち(外国の子ども)がたくさん登場する。

丁度日経ネットマーケティングの情報量の薄さに辟易としていたので、定期購読をこちらに切り替えてみても良いかと考えている。娘も楽しく、私も楽しく、一石二鳥。

10月動静

10月は比較的に有閑だったが、仕事上では諸制度のとりまとめがあり、「暇はあるが心的には少々アキが少ない」月だったと言える。

組織というものは役割を明確化し、参加人員のリソースを集中させることにより全体の効果を最大化させるという面が強かろうと思うが、そういった意味で組織人員10名以下の中小/ベンチャー企業にとっては役割の明確化そのものが非常に難しいテーマである。

「三遊間のゴロを誰が取るのか」という議論をしている時点で、すでに「ベンチャー企業としての組織(この表現も矛盾を孕んではいるが)」としては瓦解しているという考え方もあるし、私も一部賛同できる部分はある。

ただし、それでも役割の明確化そのものには大きな意味があるし、それはとりもなおさず目標の明確化につながる。達成目標を立て実現に向けて最大限の努力をしていくためには、努力と成果を見える化するための仕組みが、やはり必要だと私は考えている。

今おこなっている取り組みは、現在の組織人数ではなく、構成人数が多くなればなるほど機能するものになると思うし、実際にそのようにしていくことを期待したい。実施は11月から。


10月は浮気読みが多かった。そもそも記憶にないものもちらほら。

『裏のハローワーク 交渉・実践編』
新幹線読了本。そのまま利用しようとは別に考えていないが、恫喝のテクニックなどは非常に面白い。
色々なクライアントには会うが、そういえば…と思い当たることも。

『たいようのマキバオーW1』
新章スタート。なんとつの丸先生がラヴ・ストーリーを描こうとしている。15年前の濃密なキャラクターが続々登場し、ファンとしては期待したい展開だ。

『博士の愛した数式』
当社スタッフの引越し処分品からゲット。著者の本は初めてだが、文体にやさしさと控えめさが滲み出ており読後感もさらりとしたものだった。
圧倒的な感動、という声もあったようだが、どちらかと言えばとても良い調度品を部屋に置いているような、心地よい日常的な読後感。


『組織を伸ばす人、潰す人』
新幹線読了本。グローバル組織に所属する著者の考えだけに、ローカルベンチャーにとっても逆に参考になる。


『ハッピー・リタイアメント』
社長の書棚から覗いていたため(勝手に)ゲット。軽妙なストーリーで1文も飽きさせない辺りは著者の力量であろう。
ただし、レビューで評されているように読後感は少々微妙。


『頭のいい子が育つパパの習慣』
何とか親の自覚を持ちたいと願いつつ読了。まずは自らの行動を客観的に見つめる必要がありそうだ。
子育てで育つのは子供だけではない、と信じたい。


『さらば皇帝シンボリルドルフ』
私にとって10月最大の訃報はスティーヴ・ジョブスではなくシンボリルドルフ。15年前は今のようにYoutubeでいつでもレース映像を見ることができる時代ではなかった。小遣いが一定まで貯まるか、イベント時には、いつも乾坤一擲の競馬ビデオをゲットし、何度もその映像を鑑賞していたものだ。その中にはポニーキヤニオン発売の「シンボリルドルフ」も当然含まれている。

当時中学生だった私は「憎らしいほどの強さ」と評されるそのレースを目の当たりにし、衝撃を受けた記憶がある。ほかの馬にとっては2000メートルのレースでも、シンボリルドルフが本気で走っているのは明らかに最後の1ハロン程度だった。そして一瞬で抜き去ったあと、また手を抜いて走ってしまうのである。卓越した身体能力、それを支える「ゴールを知っていた」と言われるほどの精神レベルの高さ。

精神力で言えば間違いなく日本競馬史上最強の名馬、惜しむらくはその精神が子孫には的確に伝わらなかった点であろうか。
それでも三冠馬オルフェーヴルの母系がメジロマックイーンであるように、シンボリルドルフの名前はこれからもG1の血統表に、残り続けていくことだろう。

七冠馬。並ばれはしても、25年以上が経過し未だに超えられてはいない。シンボリルドルフの冥福を祈りたい。

「南極大陸」

ここ数年ドラマには全く興味がなかったのだが、「南極大陸」には非常な興味をそそられている。

日曜日の21:00~という時間設定が非常にシビアなため(その日のその時間はすでに子供と共に就寝態勢に入っている)、録画についてはDIGAを所有する義父にお願いすることになった。

義父母家のDIGAは専ら娘(孫)の幼児向け番組や義母の韓国ドラマ向けに利用されていたようだが、めでたく私も恩恵をいただくことになったわけだ。普段から諸々お世話になっているのだが、今回もありがたくお願いし、義父も快く受けてくれることになった。設定が全て終わるまでは。

「これ、DVDに焼けないんちゃうか?」と言いながら設定を一通り終えた(その日は2時間スペシャルだった)義父は、そのあとで非常に重要な一言を私に伝えたのだった。

「でもこれ、お前見る暇ないやろ。」

そこへ義母が畳み掛けの一言を発する。

「休みは子供の相手しないかんしね~」

かくして休みの昼下がりに楽しむという私の野望は潰え、どこをどうとっても睡眠時間を削る以外に
「南極大陸」を消化していく方法はないことになってしまった。

テレビドラマの2時間スペシャルなんて要らない、という言葉が喉からでかかっているが、それは野暮というものであろう。あまり貯めすぎないように鑑賞していこうと思う。