京都プランナー日記 -2ページ目

「宮津精養軒」

京都プランナー日記-宮津精養軒


宮津精養軒様 のWebサイト制作をお手伝いさせていただきました。


大正時代から80年以上続く老舗洋食レストランですが、この度インターネットを通じて物販を展開されたいことでご相談をいただきました。


こちらのお店は一つ一つ、手作りの味を大切にされておりどのメニューも昔懐かしい美味しさですが、特に絶品なのは名物タンシチュー。代々受け継がれているデミグラスソースは様々な味わいが舌の中で広がり、固定ファンも多いそうです。


まずは媒体ができました、という段階でまだまだ道半ばではありますが、近々タンシチューのネット販売もお手伝いしていきたいと思います。


精養軒~宮津・天橋立の老舗洋食レストラン~

現代日本に影を落とす-「本当は憲法よりも大切な日米地位協定入門」

「本当は憲法よりも大切な日米地位協定入門」


京都プランナー日記-本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」



「首相「負担検討は当然」 橋下氏、オスプレイ一部訓練移転提案(琉球新報)」


オスプレイがテーマとなったこの会談だが、一部通常のメディアにはあまり出てこない条約名が出てきている。
「橋下氏らは日米地位協定の一部改正も要請」。

この日米地位協定とは何なのだろうか。その答えがこの本にある。
というよりも、答えはそもそも条約の原文を咀嚼すれば全てわかることで、この本のテーマはその協定の「認知」と、現実的に落とし込んだ際の「ケーススタディ」ということになるだろう。


一言で表現すれば、アメリカは日本の宗主国であり、その現実を決定しているのは日米安保条約ではなく、あくまでも表面上下位に位置する日米地位協定であるということだ


これは法律的にそのような状況となっているのだから、まず受け止めなければならないだろう。


独立国家として首都圏に外国の軍隊基地が複数存在し、その軍隊の治外法権が認められていている国は世界中どこにもなく、日本のみである。


また、アメリカは日本において「望めば日本国内に自由に基地を作ることができる」権益をこの条約により取得している。


沖縄で米軍による性犯罪が多発しようがオスプレイ反対運動で10万人が集結しようが、変わらずなお残念な方向に進んでいる現実には、法的根拠というこれまた非常に残念なエビデンスが存在しているのである。



この協定を変革するには、「一部改正の繰り返し」か、「安保条約自体の見直し」が求められる。


私個人としては、「安保条約の見直し・再締結」を求める勇気あるリーダーの出現に期待したい。


一見無理だとしてもそれは決して不可能な事例ではなく、アメリカの寡占を防いだ国の中には、どのように考えても日本より不利な立場であるイラクも含まれている。完膚なき敗北を喫した国が独立自尊を守るために必要なのは、「国益を重んじる政治家と戦略」であった。今日本に最も不足している2つのリソースだが、未来の世代のために近いうちの出現を望みたい。


アメリカとの関係は一時破綻するかもしれない。ただし、それよりも独立国家としての矜持や一般生活の方が重要ではないだろうか。


蜜月により明らかな犠牲が生じているのであれば、蜜を教示していても勇気を持って変革することが必要である。


新たな未来性のある関係性を構築するためにも、この条約自体に対する世論の認知がもっと高くなって欲しいものである。今回冒頭の記事も本土のメディアからはなぜか検索発見することができず、くまなく探してようやく琉球新報で見つけた程度なのだから。Googleのペンギンアップデートに政治的バイアスがかかっていないことを合わせて祈っておきたい。

日本橋丸善で平積み - 「知の逆転」

$京都プランナー日記-知の逆転


個人的に日本橋丸善の平積みコーナーをとても気に入っている。
時事、経済、環境などのテーマ別新刊はもちろん、興味関心を深堀りできるラインナップがそろっている印象がある。

そんな日本橋丸善で見つけたのがこの本。購入した理由はそのままで、日本橋丸善で平積みだったからだ。

「人口増加」「環境」「核兵器」「教育」「インターネット」など様々な分野をテーマに現代トップの知識人に対して著者が質問し回答を得ていく内容。

私個人としては、通常対談集やインタビューはあまり評価しない。端的に言って内容が薄いからだ。この本自体も一度読んだだけではあまり面白味がなかった。

ただ、「知の逆転」というタイトルが、読み終えてようやく気になった。
もしかして私の理解が足りなかったのだろうかを思い再読してみたら、実際に私の理解が足りなかっただけのようであり、非常に含蓄のある内容だと気が付いた。

異なる言葉を解釈するためには前提の条件となる周辺知識か、再読による言葉自体のより深い理解が必要だと改めて気が付いた次第。ビジネスドキュメントばかりに目を通していると一瞥してわからない言葉を排除してしまうようになるのだな、と反省。

6名のプロフェッショナルによる言質はそれぞれ妙味があるが、印象的なのは全体としてインターネットの未来自体は「限定的に好意的」ととらえている点だった。
これは思考のプロフェッショナルから見て、インターネットは思考の道具ではない、ということも影響しているのであろう。
1名、アカマイ・テクノロジー社のトム・レイトン氏は本職であることもあり、「サイバー攻撃の脅威はこれからも続いていくが、全体的に良い方向に行く」と希望的観測を述べていた。

もう2回ほど読めばもう少しまともなレビューを書けるかもしれないので機会を見て再々読予定。

余談ではあるが、登場する人々がアメリカ出身でマサチューセッツ工科大学(MIT)の人が多いな、と感じていたら、著者自身が日本人ながらMIT⇒ハーバード大学院の方だった。
やはりトップのプロフェッサーはMITに集まるものなのだろうか。日本の東大出身にもぜひ頑張ってほしい。そして新体制に代わったミクシイにも頑張ってほしいものだ。

「利権」の目指す先に何が - 「プロメテウスの罠 3」


京都プランナー日記-プロメテウスの罠 3


福島原発事故の真実に迫る、2012年最も注目された朝日新聞のノンフィクション記事、第3弾。


病院、除染、避難指示、がれき処理、そして研究施設と称した最終処分場。

客観的な事実を組み合わせる程、国家とそれに関わる人々の「利権」が構造として浮かび上がる。


私は「利権」そのものを否定しない。


「利権」とは、「利益にまつわる権利。 政治家や官僚、他国政府、法的・制度的に優遇されている団体と結託した業者の権利。 」ということだ。(はてなより)


それが大義に利用されるのであれば、業者が権利を行使することに問題はない。10億の利権が動くとしても100億の大義に使われるのであれば、是非利権を行使してもらいたい。


ただ、この本の内容を咀嚼する限り、残念ながらそのような大義は存在しないようだ。それが故に「利権」という言葉が残念な響きを持って伝わるのであろう。


コストが高く、必要性がそれ程ない上に自治体同士の揉め事に発展してしまったがれきの広域処理。そのPRには2年に渡って10億単位の広告費用が大手代理店に支払われたという。

また、研究所という名の最終処分場建設承認をもらうのため、架空の団体から依頼を受けて全国行脚したエージェント。そのエージェントは団体が架空であることすら知らずに全国の自治体へ名刺をばらまいたとのことだ。

それらの反面、いまだに10万人以上が不便な避難生活を続けている、という事実。


全てを直接支援に向けることは難しいのは想像に難くないが、あまりにも想像力・大義に欠けているのではないか、と思わされる内容も少なくない。



構造の根深さに嘆息するしかないが、それでも希望の一端も見える章も存在する。


新聞から日々扱いが少なくなる原発・震災関連情報だが、今後も是非この濃度の内容を続けていただきたいと思う。

核利用サイクルから考える - 「終わらないイラク戦争 フクシマから問い直す」


京都プランナー日記-「終わらないイラク戦争 フクシマから問い直す」


・イラク戦争で使用された劣化ウラン弾、約2000トン。
・最も爆撃を受けた都市、ファルージャでの新生児における「先天性欠損症」の割合、約2割。
・劣化ウラン弾の原料となる、原発から生まれる放射性廃棄物。日本原発の放射性廃棄物は、今も昔もアメリカに保存されているといわれている。
・劣化ウラン弾の雨を浴びたイラクと同レベルの放射能に侵される都市、フクシマ。

・「原発」が核の平和利用であるという幻想。


次の世代に向け、私たちができることは何だろうか。

A Star, Modesty Included - 「逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方」


京都プランナー日記-「逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方」


甲子園史上初の5打席連続敬遠。

その時私は中学生1年で、家族旅行の移動中に現場をスクリーンで目撃し、一人でとても腹を立てていた。

しかし、ブーイングの混ざる異様な雰囲気の中、粛々と甲子園球場の1塁ベースに向かう松井選手は、その時甲子園球場に存在する人々の中でも群を抜いた大人の風格があったように記憶している。


そんな彼が、なぜその時そこまで大人であったのか、そして「A Star, Modesty Included」(謙虚さを胸にたたえたスター)とニューヨークから評されるようになったのか、この本を通じて垣間見ることができる。


「彼は特別な人だ」

松井選手の番記者を務めた人たちは、例外なく彼の人間性に魅了されるという。


スポーツ選手のルポルタージュは数あれど、読んで心が洗われるものはない。競争原理があるから当然のことであろう。しかし、この本には彼自身が醸し出し全体を包み込む大きなやさしさが存在する。


彼の国民栄誉賞受賞に対して、適切ではないと答える人がいることはとても残念だ。

彼を少しでも知ろうとして行動を見れば、野球人としても人間性としても日本を代表する人物であることは明らかだからだ。


「今後時間をかけてこの賞をいただいても失礼ではなかったと証明できるよう努力していきたい」

これを本心として、そんなことが言える人物が果たしているのだろうか。

それが彼なのだ。



彼はこれからも逆風に立ち続けるだろう。

ニューヨークで最も有名になった日本人。

その第二幕のはじまりを、急ぎはしないが心から期待したい。

『優れた戦略とは綜合的な論理である』-書評「ストーリーとしての競争戦略」

$京都プランナー日記-ストーリーとしての競争戦略


冒頭の要約通り、「素晴らしい戦略とは思わず人に話したくなるストーリーである」ということだけが内容なのであれば、この500ページはとても読む価値がないだろう。
しかし、この本の戦略論は実際的には非常に有価値である。

「戦略とはストーリーである」というとワンピースのようなストーリーを創れば良いのではないかとも思われてしまうが、この場合の「ストーリー」とは「エンディングから想起した起承転結を個別要素として組み合わせたもの」であり、極めて論理的なものなのである。(少なくとも経済活動においては)

また、この場合の論理は、「非論理であるものも含めた綜合的な論理」であることがさらに大きなポイントになり、この書籍の戦略論としての面白さを際立たせている。

戦略 > ストーリー > 論理 > 内向性 > 綜合 への展開が非常に現実的かつ論理的であり、この本自体の戦略ストーリーも面白く含蓄がある内容に仕上がっている。

大企業ではなく中小企業、特にスタートアップのベンチャーにとっては参考になる戦略論が多く含まれている書籍ではないだろうか。

※Amazonでは幾つか「後付け論」などの酷評もされているようだが、あくまで最終的な回答を導き出すのが本書の目的ではなく、戦略の考え方をストーリーとして分析し抽象化することが目的であるため、この批判は少々方向性が異なるのではないだろうか。反証としてはAmazonやデル、ガリバーの事例がわかりやすい。

『自分の意志で偉大になる』-書評「ビジョナリー・カンパニー 4」

『ビジョナリー・カンパニー 4 自分の意志で偉大になる』

マネジメントの世界では言わずとしれた「ビジョナリー・カンパニー」の第4部をようやく読了。


今回のテーマは2つ。


1.不確実な時代と業界において、不確実な状況にある中で急成長できる企業がいるのはなぜか

2.その急成長した企業は果たして『運が良かった』のか



1については、分析開始(IPO)時に必ずしも大企業ではなく、経営基盤が充実していない状況ながら業界の株価平均を上回るパフォーマンスを残し続けた企業を10X型企業(テン・エクサー)として、同等の比較企業をリストアップし、綿密な分析を行なっている。


2については、「運」を「イベント」とし、

「自らの行動と無関係に起きている」

「良い悪いにかかわらず潜在的に重要な影響をもたらす」

「事例が予測不可能な要素をふくんでいる」

という3要素に定義し、幸運と不運が10X型企業と比較企業でどのように訪れているかを分析している。


彼らは果たして運が良かったのか?

急成長ができたのは組織や個人の努力ではなかったのか?

10年で7割が消えると言われる企業の世界で生き残るには、自らの意志や努力の影響は限定的でしかないのだろうか。


決定論的な因果関係を証明することができない社会科学において、これらの問いは非常に重要な意味合いを持っている。


この問いに明確な回答を加えることが、本書の大きな存在意義であろうと思う。


そのために約75社、合計で6000年以上の企業史が調査されていると言っても過言ではない。


本書では、「運」に関する問いについて、明確に「ノー」と(あくまで社会科学的にではあるが)否定している。


10X型企業は全て、自らの意志で成長し、偉大になっている。

そして、それらの企業に共通する取り組みをわかりやすいレトリックで表現し、概念化している。


インテル、マイクロソフト、アップルなど日本にとって馴染みの深い企業がなぜ偉大であるのか。偉大になったのか。


これらの企業は最初から偉大であったわけではない。未来を創造したのである。


その創造論のエッセンスが本書の中に含まれているという点で、ベンチャー企業を中心として様々なマネジメントに応用が可能なのではないだろうか。


本書の著者ジム・コリンズはドラッカーの次世代となるマネジメント思想のエバンジェリストと言われている。

日経ビジネスのインタビューを拝見する限りは「ビジョナリー・カンパニー」シリーズは一旦終了の可能性もあるが、より新しいマネジメント思想をこれからも提示してくれることを期待したい。

「商談が1件もない、穏やかなはずの一日」。

書評に紛れて久しぶりの日報更新。


珍しく1件も商談がなかったが、なぜか今週で最も慌ただしい(であろう)一日だった。

●A.M.6:00~仕事開始。管理させていただいているサイトの更新。ついでに自社媒体のメンテ。ネットショップ運用マニュアルの作成。


●A.M.9:00~スマートフォンサイトの画面設計とコーディングに関する各種やり取り。合間で別件のメールやり取り。スマホのコーディングは意外にまだノウハウが蓄積されていない。ノウハウが蓄積される頃には別のデバイスが主流になっているような気がする。さすがにメガネはないだろう、と個人的には思うのだが。グラスと言い換えてもメガネはメガネ。自分の中ではバーチャルボーイがリフレインしている。ものすごく欲しかったがそれ以上に市場から消えていくスピードが素晴らしかったバーチャルボーイ。


●P.M.0:00~朝一で始めたネットショップ運用マニュアルを再開。運用業務は通常処理とイレギュラー処理に分かれるが、売れないうちに一番ボリュームが増えるのがイレギュラー処理。通常処理の効率化は後でも良いと思いながら作成。間で緊急対応が3件ほど発生。


●P.M.4:00~引き続き緊急対応諸々。合わせて資料を作成。お客様から資料が届き、それを至急修正して返信してください、という依頼など。並行して新規案件の業務依頼・要件のまとめ。


●P.M.7:00~午前中に行なった画面設計の修正、及び携帯端末に関する調査、コーディングに関する伝達、デザインの確認。この時間帯が一番タスクが多かったような。


●P.M.10:00~アクセス解析タグに関する資料の確認、調査と明日の資料印刷。



こうして一日を振り返ってみると商談のない日の方が様々なことをやっている気がする。


7、8年前にブログを始めた時はこういった日がとても多かったことを懐かしく振り返ってみようとするが、なぜか記憶がないのが不思議。過去を引きずっていないのか、知能が足りていないのか、純粋に時間がたちすぎているのか。

書評:「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」



『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』


まず、この本は原発に対する賛否を問い、そこに回答を出そうとするコンセプトではない。

あくまで人類史上未曾有の原発事故の現場となった福島第一原発の「現場」と「官邸」そして「東電本店」において、特に初動の段階でどのような動きがあったのかを克明に描き出すノンフィクションである。

この事故における最悪のケースは原発事故としては史上初の「格納容器爆発」、そして飛散する放射能量は「チェルノブイリ×10」であった。

実際に最悪の可能性は初めの数日、特に高かったこと、それを防ぐためにまさに「決死」の覚悟で任務に当たる作業員たち。そしてそういった現場に期せず混乱を持ち込んでしまう「官邸」と「総理」。

日本が分断される可能性は、現時点では彼ら現場の努力によりすんでのところで回避されている。

原発に対する是非論は当然必要だが、事故が発生し「想定外の状況が起こっている」中で、それぞれの矜持を持ち死の淵に立った、あるいは犠牲になってしまった方々に対する最大限の敬意は持ち続けなければならない。

この本はそういった「現場」の具体的な努力や想い、また残念ながら混乱を招いてしまう「管理側」の当事者に対する無配慮を合わせて垣間見ることができる稀な書籍である。