□ 時間を見つけて読書中 □
『小さな会社を変える 社長の魔法 (アスカビジネス)』: 2013/6/5
『やわらかな遺伝子』:2013/6/5
『インタフェースデザインの心理学 ―ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針』 :2013/3/30
『文明論之概略 (岩波文庫)』 :2013/1/4
「10月の読了本」
公私ともに幸いなことに色々とあって停滞中。
しかし残すべきは残しておこう。10月に読んだ本まとめ。
『何者』
いまどきの就職活動とツイッターという媒体を通して人間性の根幹を描く内容。登場人物は今でいえばごく普通だが、おそらく一昔前にはいなかった人物像だろう。表とは何か、裏とは何かということを色々と考えさせられる内容だった。団塊世代の方にはわかりにくい感覚かもしれないと個人的には感じた。
余談だがこの小説の中に私とそっくりな人物像がいると妻に指摘された。
その人物は普段はインテリのような風体で自らの趣味活動を(たいそうなことに)「仕事」と呼び、就職活動についても意味があるのかと周囲に問いただし、まったく活動の気配を見せない。それなのに某大手の就職説明会には誰にも言わずに時間前にきっちりと来て、誰にも知られずにその後の集団面接にも参加していくという。
似ているかどうかはわからないが、大学時代の私は骨折で就職説明会への参加がそもそもできなかったという点が違う、とはっきり申し上げておきたい。
『会計天国』
京都-東京間を埋めてくれればいいと考えて軽い気持ちで購入。
しかし想像よりもとても面白い内容だった。私は会計の知識が弱く、何冊か読んだがなかなか理解ができなかった。仕事柄、今後勉強しなければいけないなと漠然と考えているレベルでしかないが、それでも決算書の何たるかをある程度明瞭に理解することができたように思う。ストーリーが面白い、ということはやはり何においてもとても大切なことだ。
『強い会社を作りなさい』
有名なところではとても有名な小山昇氏の著作。仕事において成果を上げるための「ビジネスの流儀」をわかりやすく解説。本の中でも述べられているが、折に触れ読み返すととても良いのではないだろうか。
図書館で借りてしまったのが悔やまれる。
『レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか』
この本はタイトルでとても得をしていると思う。この本の存在を知った人のほとんどは「えっそんなにレッドブルって売れているの??」と思うはずだからだ。(私だけだろうか)
結論から言えば、この「なぜ」の答えについては「後書き」に書いている楠木建氏の数ページを読めば大枠理解することができる。「ストーリーとしての競争戦略」で発揮したわかりやすさは健在で、その時に若干感じた「くどさ」も「後書き」という中では生まれようもない。極めてわかりやすい後書きだと思う。
ということで私は思わず購入してしまったが、「なぜ売れたの?」という点については本屋の立ち読みをして後書きを必死にメモすれば疑問の答えは晴れる。
ただ、この本の真の面白さは謎に包まれたレッドブル創業者、ディートリッヒ・マテシッツの個性を世界で初めて克明に描き出していることだろう。メディアにほとんど登場しない彼の伝記として見るだけでも、出版される価値は大いにある内容ではないだろうか。
『人類資金』
個人的には10月一番熱心に読んだ本。
終戦時に敗戦国である日本が隠したといわれる莫大な「M資金」を中心として展開し、資本主義という「ルール」に対して一石を投じる非常に興味深いストーリー。
「亡国のイージス」で国防を、「終戦のローレライ」で戦争を描いた福井晴敏が描く経済は、まさに今私たちが感じるリアルそのものだ。
リーマンショックであれだけの被害を受けたのは、一体なぜなのか。
世論の6割が賛成する脱原発を表明すると、なぜ左翼というレッテルが貼られるのか。
マネー資本主義経済というベースが自己増殖的に非常識を常識に変える「錬金術」を生み出しているのが現在の社会であろう。
「資本主義というルールは孤独を生み、人は自らの半径5キロメートルのことにしか興味を持たなくなる。すべての人がそうなれば世界は終わる。」
作者のそういった危機感が本作の源泉になっているということだ。
経済というテーマは専門性が高く、描写として難しい部分もあるが、あくまでこの本が描こうとする「ルールを変えた世界」に私としては注目したい。
映画も同時上映という意欲的なプロジェクトだが、京都ではあまり回数を放映していないのが至極残念。近いうちに無理してでも見に行かねば。
「今月の読了本」
気が付けば9月も終わり。1回くらいはブログを更新しなければ、ということで、
本来は1エントリーづつ残す備忘録レビューをまとめて。
「プロメテウスの罠1・2」
恒久的に続けてほしい朝日新聞の原発関連ルポ。残念な状況に陥るのは常に一人一人の国民である、というような国にしてはならないと思う。
「Newton別冊 最新ガイド 太陽光発電」
流行?の太陽光発電。ふとした縁で関わることになったので基礎知識位は必要だと読了。
まだまだ本としての情報は少ないので、これからの普及度、ビジネスとしての妙味はあるのだろう。
懸念は固定買取制度。電力会社のハシゴ外しは大いにあるんじゃないかと考えてしまう。
「ピーター・ドラッカー マーケターの罪と罰」
センセーショナルなタイトルの反面、内容は極めてスタンダードかつ有益。
特にインターネットマーケティングにおける考え方にとてもマッチするコンセプトが満載。
「Live!アクセス解析&ウェブ改善実践講座」
2時間で読める内容だが、中身はしっかり入っている。
単なるフレームワークの提供に終わらず、仮説構築からPDCAに至るまで
しっかりとネットマーケティングの観点から説明しているのが好印象。ウェブ担当者は一読しておいた方が良いんじゃないだろうか。
「私、社長ではなくなりました。ワイキューブとの7435日」
元ワイキューブ安田社長の自叙伝。
ここまで赤裸々に自分を振り返ることができる経営者もあまりいないのではないかと思う。
人材に投資をすることで競争力を付ける、という彼の思想が間違っていたとはあまり思わないのだが、
方法論が異なっていたのかもしれないとは感じる。
「原発ホワイトアウト」
現役官僚による原発を巡る利権構造の暴露本。
フィクションとは言いながら、登場人物や背景、事例は完全に現実をベースにしているため、
読んでいて空恐ろしくなるようなシーンもある。
情景や人物描写は少々雑だが、内容としては知る価値がある。
「国家はなぜ衰退するのか(上)(下)」
この本のみ8月からの引継ぎ。
「国家に貧富の差ができるのは、地域性や民族性ではなく、制度による」
この主張を証明するために、古代ローマから現代中国までを全世界的に網羅して解説している。
日本の描写に代表される粗さは残るが、貧富と権力の世界史として膨大な情報量が詰まっている。
「BUTTER CUP」閉店。
約15年に渡りお世話になったジャズ・バー「BUTTER CUP」が8月29日で閉店することになり、餞にお店へ訪問。
私の父は京都が好きで、ジャンルごとに行きつけのお店を持っていた。「BUTTER CUP」のマスター上田さんともそういった関係で生まれた付き合いの一つだった。当時は「厭離穢土」というバーのマスターをしていた。
大学入学時からお店にはよく一緒に行ったものだが、学生時分の私はモルトの味などまったくわからず、(今も微妙ではあるけれど)もっぱらビールやカクテルばかりを注文していた記憶がある。量は変わらず多く、マスターの奥さんからは苦笑いをされていたと思う。
学生時代にイラストレーションの企画集団をやっていた時には、このお店をテーマにイラストを描かせてもらおうと話を聞きに行ったこともある。結局、実になることはなかったのだが、それもまた一つの若気の至りの思い出といえるだろう。
店舗は「厭離穢土」から「BUTTER CUP」へ変わり、私も社会人になり、また家族を持つようになった。
兄が結婚する前に、両親と4名でバーに訪れた時には、「家族全員でジャズバーに来るような、こんな家族はいない」と喜ばれたもので、昨日訪問したときもその時のことをよく覚えていた。
マスターのジャズや人間に対するこだわりや、それを体現した生き方。
私はマスターに何を教えてもらったわけでもない。
しかし、時代は変わっても変わらないものがある、
ということを昨日もしっかりと心に刻み込むことができた。
今の私の状況をウンウン頷きながら聞いてくれたあと、
「平たく言って、がんばってね」と彼は言った。
私も同じ言葉を返させていただいた。
一時期心配だった体調も今は大丈夫とのことなので、新たに開店する日を心待ちにしておきたい。
餞別にいただいたコースターと「GLENGOYNE(グレンゴイン)21年」。
口に含むとモルトの豊かでやわらかな味わいが広がり続ける。21年という時間は伊達ではない。
そして私たちの人生はこれからも続いていくのだ。
国境を守る「目的」は何か - 「検証 尖閣問題」
日中関係の大きな亀裂の主要因となっている尖閣問題。
この問題のポイントは幾つかあると思うが、この著書で述べているポイントは以下になると思われる。
(1)日本は「領土問題ではない(固有の領土)」としており、中国は「領土問題である(係争地)」と認識している。その点ですでに大きな認識の齟齬が生じえている。
(2)双方の歴史的な「固有の領土」主張はどちらも国際的な根拠が薄く、水掛け論でしかない
(3)日本における対中強硬論者は、まず戦後日本が領土の参考とすべき「ポツダム宣言」及び「カイロ宣言」、「サンフランシスコ平和条約」の内容を咀嚼していない
(4)現在で解決できない問題は「実質的に棚上げ」にすることで円満化を図ってきたのが1990年代までの双方の関係であったが、日米関係の緊密化とともに、日本の対中外交姿勢が硬化されてきた経緯がある。しかし、そのことは日本メディアのバイアスにより報道されていない。(当然、中国にも同様のメディアバイアスが存在する)
(5)紛争における解決方法はゼロサムだけではなく、ウィンウィン、ルーズルーズという交渉選択肢があるが、その手法が考慮されておらず、双方ゼロサムという視点が主流になっており、他方を考慮する視点がない。
上記のポイントを紹介したうえで、著者は過去の「棚上げ」論へ回帰する論を早急に進めるべきだと主張する。また、様々な視点を持つ各者との対談により、幅広い観点から尖閣問題の解決方法の提案を試みている。
「領土を守る」ということは非常に重要なテーマである。
ただし、「領土を守る」ことが目的なのか、それとも「国際社会の論理を鑑みながら総合的な国益を目指す」ことが目的なのかについては、おそらく論を待たないのではないかと思う。
その点で、現在の政権姿勢には大きな不安を持たざるを得ない。「日本を取り戻す」や「毅然とした対応をとる」という具体論からは、偏狭な国益観念しか生まれてこないのではないだろうか。
マーケティングにおいて必要なのは競合分析である。政治においても相手の狙いや主張を客観的に分析する姿勢は非常に重要であろう。
尖閣問題は国家的な「外交危機」であり最終的にはルーズルーズの軍事戦争まで発展する。これを回避する有能な政治力を一片でも期待したい、というのが筆者の願いではないだろうか。
知られざる敗戦への道筋 - 「聖断」
様々な思想が渦巻く1945年の日本を大きな混乱なき終戦に導いた昭和天皇の「聖断」。
そしてその聖断を導き出した当時の首相、鈴木貫太郎。
本書は昭和天皇の二度にわたる「聖断」と、そこに至る「道筋」を鈴木貫太郎を中心とした日米欧の人物の会話や宣言を織り交ぜつつ展開していくノンフィクションである。
丹念な取材により浮かび上がる当時の状況、また、彼自身の「軍人は政治に関与しない」という行動指針から、鈴木貫太郎は大日本帝国終末期に、歴史のアヤで不適格ながら首相になった退役軍人に見える。
しかし、彼でしか引き出しえなかった「聖断」により戦争が終結したという意味では、まさに天の配剤といえる役回りであったことがわかる。
ここで描かれている昭和天皇と鈴木貫太郎の絆、また鈴木貫太郎と陸軍大臣阿南惟幾の信頼関係をなくして「聖断」はなく、終戦工作の成功はなかったのではないだろうか。
この真実は日本の歴史における大きなターニングポイントであるだけではなく、戦争を巡る昭和天皇の考え方が垣間見えるという点で、もっと多くの人に知られるべき内容ではないかと思う。
歴史は過去との限りない対話であり、この本に描かれていることや会話がすべて事実かといえば、異なる部分もあるだろう。また、筆者が現在の視点から断罪的なコメントや「if」を入れている点は、歴史資料としては少々感情的な部分も残る。
それでもなお、知られざるこの二名の人物像と行動を克明に描き出したこの著書は大きな歴史的価値があるといえるだろう。
「人物を知る」ということが今の歴史教育には不足しており、日本史上最大の危機であった終戦時こそ、そのもっともよいケーススタディになる。
こういった内容こそ、教育に活かすべきだと個人的には思うのだが。
新しい経済原理による新しい成長 - 「里山資本主義」
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
■「里山資本主義」とは
かつて人間が手を入れてきた休眠資産を再利用することで、原価0円からの経済再生、コミュニティー復活を果たす現象。安全保障と地域経済の自立をもたらし、不安・不満・不信のスパイラルを超える。
(本書裏表紙より抜粋)
電力をはじめとするエネルギー、金融、貨幣。それらは現在グローバルマネー資本主義の元に、様々なリスクにさらされている。
アメリカの金融はもちろん、ヨーロッパの信用不信やアラブ情勢が日本の片田舎のガソリンスタンドの経営にインパクトを与えるのが現代の常識であり、それらの事象はすべてやむを得ないことだとされている。
そういったグローバルマネー資本主義に対する一つのオプションが、この「里山資本主義」となる。
ただし、これは何もこれまでの資本主義をいきなり総否定するわけではない。これまでの資本主義の功罪の中で「功」であった部分となる効率化や利便性は受け入れつつ、「罪」の一環として喪われた地域経済との関連や人間の相互信頼を取り戻していくための取り組みを行うことを意味する。
本書ではそういった観点から活動している様々な事例を解説つきで紹介している。
個々の事例はそれぞれまさに「価値の展開」というべきエッセンスが含まれており、とても刺激的な内容。著者が「100年の常識を打ち破る提案の旅」というのも非常に頷ける。
これまでにどの国も体験してこなかった人口減少、少子高齢化の道を進む日本。
だからこそ、新しい価値観を創造していくことが必要である。
それは都市に住む我々にも決してできないことはないと、個人的には日々感じている。(都市の人口だって当然これから減少していく)
本書ではいわゆる「田舎」の事例ばかりとなっているが、あたらしい価値観を考えるうえで、「都市」と「農村・山村」の関連はやはり重要なテーマとなるだろう。
今後新しい事例が多く生まれてくることを期待したい。
過疎集落への希望の道筋-「限界集落株式会社」
この本はその名前の通り、現在の社会的課題である「過疎」「少子化」「農業」などのいわゆる「地味なテーマ」を取り扱っている。
そんな小説仕立てしにくいテーマとは相反してストーリーはとても読みやすく、対立項も明確なので感情移入しながら読み進めることができる。これには登場人物それぞれの設定がとても個性的であり、「キャラ立ち」していることが大きく貢献していると思われる。
私自身が人口2,000人の地区出身であることもあり、とても興味深く一気に読み終えてしまった。
いわゆる農業を中心とした田舎の地域と都市の対立というものは当然あるが、この小説の中ではその二項の相克を目指しており、少なくとも小説上ではハッピーエンド。とても清々しい。
「現実はこんなに上手くいかない」などの声は多々あろうかと思うが、それでも良いのではないか。
この本の中でも「声を上げることこそが大切だ」と登場人物が言っている。道筋はあってもその道自体は事例によって様々なものが生まれてくるのは当然のことだ。
人口減少や過疎というものは緊急のリスクではなく、「先が見えるリスク」である。
40年後に人口が3800万人減少するのが「予測できる未来」なのであれば、打てる手はあるはず。
そういった希望を見出すことができる、未来に向けてとても前向きになることができる小説だ。
推理小説や恋愛小説も大いに結構だと思うが、こういった社会問題解決派小説がどんどんこの世に出て欲しいと思う。
経営はすべて特殊解であるという論理 - 「経営センスの論理」
こちらの著者楠木建氏の著書、「ストーリーとしての競争戦略」は、これまでの競争戦略のブラックボックスであった「ロジック」をわかりやすく解き明かした点でとても面白い内容だったが、本作はどちらかといえば短編集のような趣の著書である。
タイトルの通り、「経営はセンスである」という身もふたもない話が序章となって始まるが、この「センス」とは、「ロジックをベースにいかに特殊解を見出すことができるかどうか」ということなのではないかと感じる。
ロジカルシンキングで生まれてくるものはすべて相似であり、それは基本的には戦略とは言えないという論理はとてもよく分かるし、センス=感覚を磨くということも論理的に理解ができる。(論理的に感覚を理解する、というのも妙な表現ではあるけれども)
短編集ながら挿話も面白く構成が読みやすいので、この本自体でも楽しめるし有益だが、やはり「ストーリーとしての競争戦略」はある程度頭に置きつつ読んだ方が良いだろうな、というのが個人的な感想だった。
ちなみに、この本の中で紹介されている「ポーター賞」 は競争戦略を考えるうえで非常に参考になる事例ばかりだ。
汚されざる人間の尊厳 - 「終わらざる夏」
ポツダム宣言受諾後にソ連の一方的な宣戦により行われた、千島列島北方の「占守島(シュムシュ島)」の戦いをテーマとした戦争文学書。
この物語は史実をもとにしたフィクションであることは間違いないが、そこに現れる登場人物は大きなリアリティを持って読むものを共感に誘う。そこにはそれぞれの考える人間の尊厳があり、やむにやまれぬものである戦争によりその尊厳が侵される現実がありありと描き出されている。
この本から汲み取るべきは、人間の尊厳を否応なく奪い去ろうとする戦争と、戦場となった占守島の美しさ、あらゆるものが喪われた状態であっても最後まで自らの戦いを続ける人々の「人間としての最後の尊厳」だと私は解釈したい。
戦争は外交手段のひとつではあるが、その死には死の数だけの物語があり、喪われた尊厳が存在する。
数千万の死者の中に、この本に出てくる登場人物はは必ずや存在したであろう。
生と死は決して分断されているわけではなく、その死の上に私たちの生が営まれていることを忘れてはならないと思う。
現役騎手だからこそ力を持ち得る内部告発-「騎手の一分 競馬界の真実」
「昔は面白かったんだけど、最近は何かしらけるよね」
このような言葉は中老の懐古思想と捉えられがちだが、こと競馬においては現実のデータがまさにそれを物語っている。
競馬場への入場者数は1996年の1,411万人をピークに、2012年は6割減の619万人。
JRA(日本中央競馬会)の売上高は1997年の約4兆円をピークに、2012年は約4割減の2兆4,000億円。低迷が続いているのはだれの目にも明らかな状況となっている。
世界に通用する馬づくりを目指して、現実的に世界トップレベルの競走馬が生まれているのに、なぜ野球やサッカーのように市場が広がらないのか。
この書籍はだれもが認めるトップジョッキーである藤田伸二騎手の、内部告発ともいえる本である。内部崩壊が進む競馬界の現状とこれからへの提言、騎手として求められる本当のスキル、そして自身のこれからについて、独特の語り口でわかりやすく語られている。
「変わらなければいけないのはJRAだ。」
藤田騎手は繰り返しそう述べる。
外国人騎手の問題、結果優先でラフな騎乗が看過される現状、大グループによる寡占状態、エージェント制度…。これら全てにおいては、個々のプレーヤーの責任は一部に過ぎない。重要なのは運営側(JRA)による、中長期的な視野に立った仕組みづくりであろう。
全盛期の2割となってしまった、競馬学校騎手課程への応募数への対策などはその最たるものであろう。このままの状況が続けば、そのストーリー性とカリスマ性から熱狂的なファンと執拗なアンチを生み、競馬の裾野を大きく広げた武豊騎手のような存在は決して生まれそうもない。
JRA、外国人騎手に本免許 8月上旬発表へ
最近もこのようなプレスリリースがあったが、本当に優先すべき施策が何なのかを取り違えているのではないだろうか。
私自身、たとえばM.デムーロは非常に好きな騎手であるし、彼が並の日本人以上に日本を愛していることは有名である。
しかし、これはあくまで産業として考えた場合の優先順位の問題である。
外国人騎手に日本競馬市場を開放するということに関して、どこに目的があるのか全くわからないが、少なくともファン不在の決定だと考えざるを得ない。
Webを通じたPRなど、JRAは確かに広告手法は上達した。
(JRAというよりは広告代理店であろうが)
しかし、本質的に重要なのはその「サービスそのもの」であり、競馬場で生まれる感動や物語である、ということをJRAは見失ってはいないだろうか。
私自身も今年の日本ダービーを見るまでは、20年間見続けた競馬から離れようと考えていた。2012年の諸GIレースに象徴された、大グループの社内運動会のような状況に心から嫌気がさしたからだ。
私のような存在は日本中に数多く存在することだろう。
もう間に合わないかもしれないが、それでもJRAには「仕組みの改善」に一刻も早く目覚めてほしいものである。